SAKAKIHARA

飛天双〇能2025 鞆の浦沼名前神社

神辺・備後のあれこれ

100人の能楽師が鞆の浦で舞う。

これは見たい! 行ってきました、沼名前神社へ。

鞆の浦学園の校庭が駐車場として解放されましたが、他府県ナンバーの車の多いこと。

しかも、高級車率が異常に高いことに、能という世界のほんの端っこを理解した気がしました。

飛天双〇能「ひてんふたわのう」と読みます。

当初は、宮島の能舞台が検討されていたそうです。

でも主催者が鞆の浦を訪れ、この秀吉公の移動式能舞台をご覧になり、すぐにこちらでの開催が決まったと聞きました。

私は歴史は苦手ですが、ここがとても価値ある場所なのだと、そのエピソードで知ることができました。

演目【金札】

あらすじ:山城の国に造営中の伏見宮に赴くと、伊勢の国から参詣に来た老翁が現れました。その時、天より金札が落ちて来たので読み上げたところ、「わが国を守護するために神が伏見の宮に降臨するであろう」とのお告げでした。その老翁は伏見の謂れを語り、自らが天津太玉の神であると名乗って消えてしまいました。
やがて目の前に天津太玉の神が宮より現れ、弓矢で悪魔を祓い、御世を寿いた後、宮へと帰っていきました。

謡はもちろんですが、小鼓、大鼓、笛なども理解できるものでなく、素人は能をどのように楽しめばいいのか、誰か教えて欲しい。

能は650年以上も受け継がれている伝統芸能で、世界最古の演劇とも呼ばれているのだそう。すごいですねー。

演目「羽衣」

あらすじ:漁師が松の枝に掛かった美しい衣を見つけます。家宝にするため持ち帰ろうとした漁師に、天女が現れてその羽衣を返して欲しいと頼みます。漁師は、はじめ聞き入れず返そうとしませんでしたが、「それがないと、天に帰れない。」と悲しむ天女の姿に心を動かされ、天女の舞を見せてもらう代わりに、衣を返すことにします。羽衣を着た天女は、月宮の様子を表す舞いなどを見せ、さらには春の三保の松原を賛美しながら舞い続け、やがて彼方の富士山へ舞い上がり、霞にまぎれて消えていきました。

「羽衣」を見るのはこの日が2度目。初めて見たのは、大島能楽堂で大島衣恵さんが演じた「羽衣」でした。

一度見たことがある演目だからか、ほんの少しですが分かってくるというか、自分の中で楽しむ気持ちが芽生えるというか、そんな時間を過ごしました。

余談ですけど、大島衣恵さんとは同じ年なのですが、見るからして知的で凛としていてそして美人。何度かお見掛けしたことがありますが、振り返らずにはいられないカッコよさです。ご存じない方、ググってみてください。きっとファンになりますよ。

あと、鼓を打つ左側の男性の所作には感動しました。

目線や、姿勢はもちろんですが、指先一本一本の動きが美しく・・・なんといえばいいのか・・・しなやかで・・・音が丁寧に届く・・・うまく表現できませんが、とにかく一流でした。

声と音、この感動を忘れないよう集中して聴きました。

何か特別なものを見させていただいているという実感がありました。

能は朝7時から17時まで続きましたが、私は二演目見て、鞆の町で開催されている「ひな祭り展」へ行きました。

どうしても見たかったのは、これ「見栄っ張り雛」

ありましたよ、鞆の浦民俗博物館に。それも入って真正面の棚。

能「羽衣」でも天女がつけていた頭飾りとよく似ていていますね。

そして着物に獅子を刺繍するなんて、どうなの?って話ですよ。

このお雛様は家の繁栄を競って作らせたといわれていますが納得です。

家長が、とにかく豪華にするようにと指示したのでしょう。

子どもは、こんなかわいくないお雛様もらっても嬉しくなかったと思う。

それにしても見栄っ張り雛って、お雛様独特の控えめな空気感が全くなくて、その潔さにかえって好感持てます。

もう一組ありました。

こちらは鯉の刺繍。とにかく強すぎるのよ、存在感が。笑

後日、能とお雛様を見に行った話を父にすると、「ワシも行ったで」って。

えっ!?

兄と一緒に行っていたというのです。

父と兄が沼名前神社を離れたのが13時過ぎ。私が沼名前神社に着いたのが13時半。

ニアミスでした。残念だな~。会いたかったよ~♪

プロパンガス・ガス衣類乾燥機「乾太くん」のことなら、福山市神辺町の榊原商店まで